キキのテーブルのブログ「4×6 -4つの目、6本の足-」

🐾アニマルコミュニケーションができるようになりたい!🐾

毎年、夏休みになるとなぜか、

「アニマルコミュニケーションができるようになりたい」

「アニマルコミュニケーターになりたい」

「どこに習いに行ったらいいですか?」

というメールをいただきます。

ちなみに私は、過去も現在も、

「アニマルコミュニケーション講座」を開いたことはありません(^^;)

でも、そんな私にもなぜか、そういう質問が来るのです。

 

会ったこともお話ししたこともない方のこの質問にお答えするのは、

すごく難しいことを、先ずご理解ください。

 

なぜか?と言うと、料理に例えたたら…

質問者が、どこまで料理ができるのか?それによって、

アドバイスできることが全然違ってきます。

シチューを作りますと言って、パパっとできる方と、

野菜の切り方を知らない方との違いと言えば、わかりやすいでしょうか。

 

そして、アニマルコミュ二ケ―ションをできるようになりたいと、

アニマルコミュニケーターになりたいは、必ずしもイコール(=)ではありません。

アニマルコミュニケーションは、講座なり学校なりに行って練習すれば、
どなたでもできるようになります。できないという方のご相談も多いので、
これについては、後で記します。

 

先に、アニマルコミュニケーターに関して…

 

コミュニケーターに限らず、カウンセラーでも他の職業でもいいのですが、

「〇〇ター」と名乗るには、仕事にならないと意味がありません。

規模の大小はそれぞれでも、クライアントさんがいて、代金をいただき、
プロとして活動できることが必要になります。

 

その前提でお話しすると、日本の現状で、アニマルコミュニケーターとしてやっていくのは、
中々厳しい道と言えるでしょう。

 

その理由は、広く認知されていない仕事と言うことが一番です。

いくらリーデイング自体の能力があっても、宣伝力・企画力・
営業能力がないと、難しい。

それは自分がアニマルコミュニケーターだと、どうやって
知ってもらうかが大事になるからです。

 

とくにOL生活や主婦が長い方は、組織の中で組織が決めた方針に従って働くことや、
家庭という枠の中で自分の能力を使うことに、今まで力を注いできています。

それがいきなり、「1人商店、フリーでどうぞ」と言われても、…
どうやっていけばいいのか、途方にくれてしまいますよね。

 

アニマルコミュニケーションを習ってできるようになったら、そ
れで即!アニマルコミュニケーターではないということです。

むしろ、そこからが、ようやくスタートとなるわけです。

「なにがなんでもどうぶつの声を届けたい!」という情熱か、
人の前に出るのが得意、社交的、営業能力やセンスに長けている。

そういうことが、必要になってくるのです。

 

ここからは、どこに習いに行ったらいいか?を記します。

 

これはもう複数の講座や学校を比較して、ご自分でピンとくる所に行くのが一番良いと思います。
先ほども記したように、その方の今の意識の状態がどういう感じなのか私にはわからないので、
どこが合っているとは言えない、言いようがありません。

 

今までの経験から私信をいえば、日本人に教わるのが一番と思います。

相談者が英語を、日常会話レベルでできるなら海外のコミュニケーターでも

良いと思いますが、日本語しかできない私のような人だとしたら、なおさらです。

どうぶつが喋ったことを、外人のコミュニケーターが訳す→
それをまた通訳があなた訳すと、
2人の人間が介在することになります。

人間ですから、微妙なニュアンスや、訳す際の言葉の選び方も違ってきます。

 

どうぶつの気持ちを汲むなら、できるだけ人を介さない方が、
正確にストレートに伝えられます。

それプラス、宗教感や死生観が大きく違っている場合がおおうにしてあります。

闘病や終末医療に関する相談は、とても多いものです。

神様の元にという考えで、安楽死をいとわない死生観と、

日本人の死生観は違います。

お別れの仕方で後悔が残ると、深刻なペットロスになることも多いので、

すごく大事となります。

 

海外のコミュニケーターに教わる場合は、そういう点のギャップをフォローしてくれるのか
(あるいは日本人の先生もいて、フォローがあるのか)は確かめることをお勧めします。

海外の有名なコミュニケーターに習ったからと言って、あなたに力がつくわけではありません。

むしろ、雲の上の人みたいな存在で、質問するのもままならない感じなら、

母国語で、丁寧に教えてくれるコミュニケーターを選んだ方が賢明です。

特に初めて習うなら、なおさらですね。

 

習ったけれど、できないについて…

 

できないと言う方は、以下の点をご自分でチエックしてみてください。

 

   自分には霊感がないからできない

 霊感などなくともできます。「そもそも、霊感とは何ですか?」と聞いても、

みなさん、正確には答えられません。

テレビなどのマスメディアから得た情報で、幽霊を見る人、
そういう能力のある人と思い込んで、決めつけてしまっているのです。

ちなみに私はそういう類のものをほぼ見ませんが、普通にアニマルコミュニケーションはできます。
そして、私と同じようなアニマルコミュニケーターさんは、いっぱいいます。

 

要は、必要な時だけ、必要なエネルギー(対象の動物に)コンタクトできればいいのです。

 

詳しい説明はここでは省きますが、ご自分の中で、
「これは誰にでも元々ある力で、できないのは単に使ってこなかったからだ」
と認識しないと、できるようには中々なりません。

「私は英語ができない!」と思い込んでいる人と、
「通じないかもだけど、取りあえず喋ってみよう!と思える人では、
結果はまったく違ってくるのと同じです。

頭でわかっているだけでは、ダメです。自分の意識の中にそれを浸透させないと…

 

   自己評価が低い人

 日本人特有の自己謙遜型もこの中に入ります。

「私なんて」、「私の言うことは間違っているかも」という気持ちが強い人は、

受け取った情報が顕在意識(表面の意識)に上がって来る前、潜在意識の段階で、

「こんな答えは間違っているかも」的に、跳ねてしまうことが多いのです。

 

どんなに突拍子もない情報を受け取ったとしても、それを人の前で言えることが
すごく大事になってきます。

 

   練習していますか?

 これは先ほど記した「霊感」にも当てはまるのですが、みなさん習ってすぐ

なにかそういう能力が拓けて、バンバン受け取れると思っている節があります。

 

もともとエネルギーの世界(可視化できない世界)に関わっていて下地がある方なら、
そういうこともありますが、多くの人は、練習がとても大事です。

 

英語だって通訳になりたかったら、英語漬けで何年もかかるはずです。

アニマルコミュケ―ションも、語学の勉強と全く同じなのです。

繰り返し練習をすることによって、最初は細い回路だったものが

ドンドン太くなり、強固になっていきます。

 

何回かやってみてできないからと言って、「私には霊感がないわ」と諦めないでいただきたいと思います。

 そういう私は、学校卒業後すぐに諦めてしまって、2年くらいブランクがありました💦
ちなみに、「私にはできない」という思い込み型でした。

 
なので後半部分は、自戒をこめて書いてみました。

 

アニマルコミ二ケ―ションが出来るようになりたい方は、ご自分ができるようになったら、
どうぞ、有効なツールであることを回りの方に広めてください。

 

アニマルコミュニケーターなりたい方は、どうか、諦めないでください。

どんなツールも万能ではありませんが、再三書いているように、これだけ社会が複雑になった今、
動物の気持ちを個別で聞いてあげることは、必須と言っても

過言ではありません。

 

私はこの仕事を始めたのは、50歳を過ぎてからです。カウンセリングや
人生経験が大事な部分を占める仕事ですから、年齢がいっていて不利と言うことはありません。
むしろ、今までの苦労や失敗が糧となる仕事です。

 

気持ちを通訳してもらうことで救われる動物は、たくさん、たくさんいるのです。
「知れて良かった」と思ってくれる飼い主さんも、いっぱいいます。

 

だからどうぞ、諦めずに頑張ってください🐶😻🐓🐇🐢

 

 

 

 

  • 2019.08.16 Friday
  • 21:04

🐐ヤギと🐇ウサギと🐢亀がいた小学校

月の選挙で、馬を連れ都内で選挙活動している候補者がいて
話題になったこと、記憶にある方も多いと思います。

 

馬を連れ、「子供を大事にする社会」をと、主に訴えていました。

私は最初目にした時、馬と子供を大事にすることが結びつかなくて、
「変わった人だな・・・」と思ったのですが、つらつら考えているうちに、
函館で過ごした小学生時代のことが思い出されてきました。

 

夏休みで、田舎に帰省されている方も多いことでしょう。

お時間と興味のある方は、50年前のレトロな話にお付き合いくださいませ。

 

私が小学校3年まで過ごした小学校は木造2階建てで、当時から、
年季の入った飴色をしていました。今回写真が残っていないか調べたのですが、
見つけられなかったので、ネットに載っていた以下2校からお借りしました。
(北海道最古の木造校舎 旧増毛小学校 茨城県 旧上岡小学校)

 

校舎の外観は、そっくりな感じがなかったのですが、なにせ50年も前なので
記憶が正確かどうかもわかりません。2階建で、窓の配置や雰囲気が似ているので、
写真を拝借しました。

小学校は、幕末に戊辰戦争の舞台にもなった函館・五稜郭近くにありました。
小学校の回りは緑が多くて静かで、治安も良く、奥座敷という風情がある地域です。

ネットで調べたら、今でも学校の評判は良く「モデル校」とされるほどで、
通わせたい親たちがわざわざ、引っ越してくるのだそうです。

50年前、私は父の勤め先の官舎があった関係でたまたま
その小学校に入学したのですが、今思えばとても幸運だったと思います。

 

最初に思い出したのは、当時、校内で、馬を見たことです。

私が見たのは1回きりでしたが、今回の選挙時に見た、ポニーのような小さい馬でした。
胸に金の綺麗なモールをつけて、玄関の門前に繋がれていたのです。

小学校の玄関は、入り口が3つに分かれていました。右手が、
小学校低学年(1年〜3年生)左手が、高学年と特殊学級
(4年〜6年生と知的障害児1クラス)真ん中の入り口だけ
重厚な石の門と階段があって、職員専用でした。

 

ある日馬は、その職員用の門に繋がれていたのでした。
後から聞いた話によると、校長先生が、何かの式典に必要な物を
馬の背中に乗せて来たというのです。

子供達は馬など見たことがなかったので、
休み時間になると、馬の回りは黒山の人だかりになりました。

子供達が騒ぐと、何度か校長先生が出てきましたが、怒られることはなく、
触り方を教えてくれたり、1年生の何人かは背中に乗せてもらったりしたものです。

馬にオシッコをかけられたという子供もいましたが、
親が怒って学校に来るようなことなどありませんでした。

 

時代が時代だから呑気だったと言えばそれまでですが、
今思えば、確固たる教育方針があったのだと思います。

特殊学級の生徒たちへの処遇が、特にその現われでした。

特殊学級の生徒が高学年の子と同じ玄関になっていたのは、
その年齢になったら自分より弱い立場の子の世話をすることを学ばせるためだったのでしょう。

 

行きと帰りには、高学年の生徒の何人かが、必ず付き添っていました。
それも、いかにも学級委員という感じのしっかりした子供たちがついていました。
それを見た低学年は、「自分も高学年になったら、あんな風に、
真っ直ぐ歩けない子の手伝いがしたい」と、憧れの目で見る子も多かったのです。

私はその最たる低学年生の1人で、お世話がしたくてたまらなく、
その一団の後を、ストーカーのようについて歩いたりしていました
(^^

もっとうらやましかったのは、特殊学級のクラスの入り口に売店があって、
その手伝いを高学年の生徒がしていたことです。

売店は休み時間だけ開いていて、誰でも行くことが出来ました。
消しゴム、鉛筆、糊、当時流行っていた紙石鹸等がありました。
売り子は特殊学級の生徒で、計算はそろばんを(電卓ではありません💦
持った高学年の子がやっていました。

パチパチとそろばんを弾く姿がカッコよかったことを、
今も鮮やかに思い出します。

 

売店は、特殊学級の生徒達を孤立させず、自然な形で受け入れさせる
工夫であったと思います。

校内の全てに、そういう工夫がたくさんありました。

職員室の扉は、冬以外いつも開いていました。

北海道の冬は、ストーブなしでは過ごせません。
今のようにエアコンや電気ストーブの時代ではなく、
添付写真のだるまストーブ(石炭)でした。冬になると、
生徒が来る前に、各クラスのストーブに火をおこし、
蒸発皿に水をいれねばなりません(今の加湿器の役割)
子供達が下校した後は、火の後始末もあります。

そういった仕事を一手に引き受けていたのが、用務員のおじさんでした。

一年中、ベージュの作業着を着て黙々と働く、白髪頭の小柄な老人でした
(子供から見たら老人に見えたけれど、本当は中年だったのかも)

そのおじさんの用務員室が、校長室の隣にあったことを、ハッキリと覚えています。
今現在に置き換えたら、考えられないことだと思います。

 

でも子供たちはそのおかげで、用務員のおじさんも校長先生も、
役割が違うだけで同列の人という感覚を持てたのです。子供達はむしろ、
いつも火をおこして部屋を暖めてくれ、ストーブの火が消えそうになると
鉄の棒を持ってきてかきまぜ、あっという間に、赤々と燃やしてくれる。
そんなおじさんの方がすごい!とさえ思っていました。

現に私はおじさんを、神様か魔法使いだと信じていたものです。

たまにおしさんが1人で、私の回りに誰もいない時、本来の姿、
神様か魔法使いになりはしないかと、ドキドキしながら見ていたくらいです。

 

学校ではなぜか、夏休み期間だけ(記憶によると)学校に動物がいたのでした。

当時は、休みの度にテーマパークや旅行に行ったりという時代でもなかったので、
子供達の自由研究や絵日記の題材を提供する狙いもあったのかもしれません。

夏休みに入る直前の全体朝礼で、校長先生が言うのでした。

「みなさん、休みの時も学校を忘れないように来てくださいね。
ふだん見られない動物がいますよ」と…

 

ドキドキして見に行くと、ヤギやウサギや亀がいるのでした。

当時学校にはグランドが3つありました。亀がいた水槽の場所は忘れましたが、
ヤギとウサギは、校庭脇の遊具があるグランドにいました。

その小屋を建てるのも、動物の面倒を見るのも用務員のおじさんの仕事でした。

廃材みたいな木と網で、あっという間に、見事な小屋を作ってくれたものです。

 

私は小さいころから動物がとても好きだったのと、母が働いていたので、
日中淋しかったのだと思います。友達を引き連れて、ほぼ毎日見に行っていました。

中でもお気に入りは、仙人みたいなあごひげを生やした大人しいヤギでした。

遊びに行く道中草を摘んで、最初におじさんの所へ見せにいきます。
おじさんは、ヤギにあげていいものといけないものを、手のひらに乗せて点検しより分けてくれたものです。

 

ある日私たちは、行く道中大きな枝が道端に転がっているのを見つけました。
前の日雨風が強かったので、折れた枝が転がっていたのだと思います。

大人でも両手でないと持てないほどの枝でしたから、私たちは数人がかりで運んでいきました。

「ヤギに食べさせよう!」と思ったのです。

 

枝が大きかったもので、その日に限って用務員室へ寄らず、
私たちは校庭の中を、大きな枝を引きずって行きました。

ようやくヤギの所へ着くと、どういうわけか
(鍵が開いていたのか、普段食べない木の葉を見て興奮したのか)
ずっとおとなしかったヤギが、大きな声で鳴いたと思うや、柵の外へ飛び出して、
こちらに向かって突進してきたのです。

今まで見たこともないような雄々しい感じで、ヤギはムシャムシャと葉を千切って食べ出しました。
ピンクの歯茎と、なかなか立派な歯、そして角(短かったけれど)を
間近で見た私たちは、怖くなって逃げだしました。

 

私も入れて4人くらいだったと思うのですが、全員蜘蛛の子を散らすように逃げ、
ジャングルシムやぶら下がったタイヤの遊具に避難しました。

 

あっという間に食べ終わったヤギは、「メェーメー」大きな声で鳴くと、
私たちの足元に迫ってきたのです(もっと枝が欲しかったのでしょう)

ジャングルジムへ逃げられた子は良かったのですが、1人だけ逃げ遅れ、
タイヤの中に潜り込んだ子がいて、その子はヤギに角でタイヤを押される度、
怖がって泣いていました。

 

どれくらいでおじさんが来てくれたか覚えていませんが、
おじさんが来るとヤギは、まるで人が変ったように大人しくなって、
いそいそとおじさんの後をついて、小屋に入っていきました。

戻ってきたおじさんは、転がった枝を見て状況を理解したと思うのですが、
子供たち全員に怪我がないか確認した後、「これは(枝を拾って)もうあげちゃだめだ」
そう言って、
11人、頭をポンポンとしてくれました。
決して叱ったり、ましてや担任の先生に報告したりはしなかったのです。

私は50年経った今でも、あのポンポンとされたときのおじさんの手の感触を、
思い出せるほどです。

 

その後私は、札幌の小学校に転向しました。新しい小学校は、コンクリートの

3階建てで、それは立派で、プールもありました。

でも覚えているのは、女子トイレがピンク色で可愛く、
水洗トイレで臭くないということだけです。

清潔でしたが、全て均一で、それまで過ごした函館の小学校と比べ、
無味乾燥としていました。

 

選挙で馬を連れた候補者が一番言いたかったのは、人間も含めた全ての生きものの、
多様性を認めること…そのことと、自分の幼いころの思い出が結びつくまで、
かなり時間がかかりました。

そして、そのことが私自身を驚かせています。

いつのまにか私も、無味乾燥とした世の中に慣れてしまっていたのでしょうか。

 

こうして今思い出してみても、私にとって宝石のようにきらめく宝物は、函館の小学校時代で、
あの豊かな時間の下支えがあるから、何があっても生きていけると言ってもいいくらいです。

 

私たち大人が変らないと、子供の社会は変わりようがありませんね。

40台後半以降の大人の方なら、私のレトロな思いで話しと同じことのひとつやふたつ、

きっと持っているはずです。

この夏休み、みなさまも豊かな時間を思いおこして、お過ごしください!

 

長文お読みくださり、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 2019.08.13 Tuesday
  • 20:44

🐾ミニセッション残席&チャリティイベントのお知らせ🐾

97日センター南CAFE OREOさんミニセッション、残席1枠です。

リピーターの方のお申込みも、本日以降受け付けます。

こちらから、お名前・携帯番号明記の上、「OREOミニセッション」の

件名でお問合せ下さいませ。

http://kikinotable.com/?page_id=38

 

※当方からは48時間以内に返信させていただいています。

それ以上経っても返信がない場合は、お客様のメールアドレス・
メール受信設定・
迷惑フォルダーなどをご確認くださいますよう
お願いいたします。

 

🐾10月はミニセッション、お休みとなります。

 

🐾そして早くも、ぐるぐる石鹸&タイ料理のチャリティイベント次回開催日の

お問い合わせもいただいています。

 

次回は11月10日(日)を予定しています。正式な告知は、

9月中旬以降にさせていただきます。

 

どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

  • 2019.08.10 Saturday
  • 01:56

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