キキのテーブルのブログ「4×6 -4つの目、6本の足-」

バナナの思い出 母の日によせて…

母がいる時は、ほぼ気にとめていなかった母の日だけれど、

母がいなくなってから、すごく昔のことが、
鮮やかに思い出される時があります。

自分の記録の意味もあるので、興味のある方がいらしたら、
お付き合いくださいませ。

 

私が小学3〜4年生だったので、45年以上も前の思い出です。

当時私は、札幌に住んでいました。

そのころの北海道といえば相当田舎だったと思いますが、
小さな路地にいたるまで、完璧に舗装道路になっていました。

こんなことをわざわざ書くのは、当時、アスファルトに
チョークで絵をかいて
遊ぶのが、私達子供の間で最新の遊びだったからです。

「道路に絵をかけるなんて、アスファルトだからだ、すごいねー!」と、
他の子供と言い合った記憶があります。

 

母の日の数日前でした。放課後、路地に数人の子供が集まって、
アスファルトの上にチョークで絵をかいて遊んでいました。
誰かの家の前だったかもしれませんが、当時はそんなことをしても、
誰からも怒られない時代でした。

 

「そこの子たち、ちょっと手伝ってくれない。お小遣いあげるから」と、
私たちは、オジサンに声をかけられました。

初めてみるオジサンでしたが、私たちが遊んでいた路地の角にある、
新聞販売店の人だと言うのです。

塾に通っている子などほぼいない、誘拐は著名人かお金持ちの子という時代でしたから、
私たちはお小遣いという言葉に全員釣られて、ゾロゾロついて行きました。

 

手伝いというのは、7〜8枚あるチラシを端から順に取って行き、
最後は新聞の中へ入れ、半分に折りたたむという作業でした。

その日は人手が急に足りなくなったと言って、オジサンはニコニコしながら、
チョコボウルをくれました。チョコボウルだけで、子供たちは大喜びしたものですが、
「みんなが頑張ってくれたら、お小遣いをはずむよ!」の言葉に、
私ともう一人の男の子が、すごい反応をしました。

 

私とその子は、他の子がのんびり1周回って1つの新聞を折り込むところ、

どうにかしたら、2周か2周半くらい回ったものです。

百人一首のカルタ取りの勢いで、端からチラシを取っていきました。

そのうちその男子と2人で競い合い、ほぼ走って回ったように思います。

 

最初見た時は、チラシの山と言う感じでしたが、終わるまで、
1時間もかからなかったように思います。

オジサンはすごく喜び、11人を呼び寄せて、
「ありがとうね。どこの子だい?ああ〇〇さんの子だね。
お母さんにも御礼を言っておくね」
と言うように話しかけ、小銭とお菓子を渡してくれました。

私の番になった時、私は名前を言いたくなくて、
言いたくないその理由も言いたくなくて、困りました。

言いたくなかったのは、父の顔が浮かんだからです。父は妙なところでプライドが高く、
また派手好きな人でした。当時私たちは、社宅に住んでいたのですが、
その界隈の人が乗っていないような車に乗り、流行っていたボウリングやゴルフにも、
父は頻繁に行っていました。そして私には、「大人になったら○○になれ」とか、
自分が得意な文系の学科は、「お前はオレの血を引いてるからな、一番になって当然だ」
とか言っていたのです。
そんな父でしたから、私がこうして新聞販売店で働いて、
お金を貰ったことがばれたら嫌がると思ったのです。

私が下を向いて困っていたもので、オジサンはすぐに
「お嬢ちゃんいいよ、言わなくて」と言ってくれました。そしてお小遣いをくれる時、
「みんなより、たくさん入れたからね。頑張ってくれて、ありがとうね」と、
頭をポンポンとして労ってくれました。

 

私はお小遣いをもらうと、御礼を言って販売店を飛び出しました。
同じように飛び出した男の子がいました。私と競い合って、頑張っていた男子でした。
彼も、私と同じように名前を言いませんでしたが、その理由を子供たちはみな知っていました。
その子の家は、母子家庭で貧乏だったのです。でも私の家も、他の子が知らないだけで貧乏でした。
父が贅沢三昧の生活を止めず、お給料の大半は父によって消費されていたからです。
母は弟が
1歳の頃からずっと勤めていましたが、ストッキングに穴があいても
買うのが勿体無い、お金がないと嘆いていました。

 

私は貰った小銭を握りしめ、少し離れた所にあるスーパーに向かいました。
そのスーパーは、1階が食品で、2階に洋品売り場があって、
その界隈で洋品売り場があるのは、そのお店だけでした。

 

息を切らしてスーパーに着くと、階段を駆け上がって洋品売り場に行きました。

最初に見たのは、母の寝巻でした。次に見たのは、スカーフでした。
どちらも買えそうにないことはわかっていましたが、いつか買えるようになったら
母に買ってあげようと思い、下見をしている気分でした。
初めて自分で働いたお金を手にしたことで、ちょっとした大人の気分になっていたのだと思います。

そうやって全部を見て回り、ようやく本命のストッキング売り場に行ったのですが、
私がもらった小銭では、ストッキングも買えませんでした。
子供だった私は、ストッキングの値段を知らなかったのですね。

 

帰り道はガッカリして肩を落とし、トボトボ歩いて帰ったのを覚えています。

近所の野菜兼果物屋の前を通った時でした。

手描きの札に(今で言うポップ)「あま〜い高級バナナ、100g〇〇円」

と書いてあるのが目に入り、私は色めき立ちました。
母と弟は、特にバナナが大好きなのでした。そしてこの値段なら、
私が働いて貰った小銭でも買えそうなのです。

ただ問題なのが、私が持っている小銭で何本バナナを買えるのかということでした。
私は、最低3本は欲しかったのです。

 

大人たちの後ろからしばらくのぞいていましたが、人が少なくなったのを見計らい、
思いきって聞いてみました。

「オジサン、100gで〇〇円とありますけれど、
〇〇円で、バナナは何本買えますか?」

昔の果物屋の店員ですから、威勢がよく、それが子どもの私にはすごく怖くみえました。
声も枯れたようにガラガラで、目のギョロっとした人だったのも覚えています。
その大きな目を見開いて…

「嬢ちゃん、幾ら持ってんの?ああいいや、何本欲しいのさー?」

私は掌を広げてお金を見せ、「これで買えるだけ全部欲しいです」と言いました。
「母の日にあげるから、それまで大丈夫(日持ちするか)ですか?」とも聞きました。

 

私はどういうわけか、その後のやり取りを、全く覚えていません。
大きなバナナの房を、両腕に抱いて帰ったことしか覚えていないのです。

その後家に帰って母が喜んだのか?そもそもちゃんと渡せたのかも覚えていません。
きっと、子供の私にとって初めてのことばかりでいっぱいになり、
バナナを手にした時点で、全部吹き飛んでしまったと思っていたのですが…

 

後年大人になって母に確認したところ、母も覚えていないと言うのです。

母の日にバナナを貰った記憶はないと…

ぞしてしばらく考えこんだ後に、
「ああ、そういえばその頃、大きなバナナがテーブルの上に置いてあったことがあったわ。
あまりに立派だったから、またお父さんが見栄はって買ったか、
なにかの大会(ゴルフとかボウリングとか)で優勝してもらったのかと思った」

私はすごーくがっかりしましたが、母はわりにこういう人でしたから、
冷めた口調でこう聞いてみました。

「・・・で、お母さん、そのバナナ食べたの?」

「うん、食べたわよ。すすむ(弟)と2人で。あら、あんたは食べなかったの?」

私はすっかり興ざめして、母に真相を話さないまま終わりました。

 

母が旅立って、5回目の母の日ですが、「うん食べたわよ」

と言った時の頬杖ついた母の顔は、

手が届くほどそばにいるように思い出せます。

 

この年齢になってもまだ、私は母の子供なのだと、

この話を書いていて思いました。

お母さんに誉めてもらいたい一心の、小さな子供そのものですね。

 

長文お読みくださり、ありがとうございます。

みなさま、素敵な母の日を💖

 

 

 

 

 

  • 2019.05.12 Sunday
  • 10:56