キキのテーブルのブログ「4×6 -4つの目、6本の足-」

昭和64年1月7日〜「ありがとう平成まんじゅう」

昭和64年1月7日〜

 平成もあと10日で終わりますね。


今まで特に感慨もなかったのですが、一昨日行く先々で見かけた

「ありがとう平成まんじゅう」の文字を見たら、
急に、一つの時代が
終わるのだという気持ちが湧いてきました。

 

甘いものに目がない私は、渋谷の駅構内売店で、その日3回目に見た
「ありがとう平成まんじゅう」に、とうとう吸い寄せられ…
気がついたら、並んでいました。

ちょうど昼時で、混んでいました。
私の前に並んだ、私と同じくらい昭和なオジサンたちが、
「ありがとう平成まんじゅう」をみながら、昔の深夜ラジオの話題で盛り上がっています。

人の記憶って、不思議な多重構造になっているものですね。

オジサンたちの話を聞くともなく聞いていたら、
ふいに、昭和が終わった日、朝のラジオ放送が思い出されてきました。

 

どんより曇った、寒い土曜日の朝でした。

私達は、その頃共に暮らしていたマルチーズを連れて公園にいました。

今では考えられないことですが、その当時、
私たちの週末の朝食は、マックのハンバーガーでした。

バカみたいに無理して購入したエンブレムのついた外車で、
少し遠くの、いつか住みたいと憧れる地区の公園に犬連れで行き、マックを食べる。
それが私たちの習慣になっていました。

 

あの頃毎日、天皇陛下の病状は、新聞やニュース、ラジオで流れていましたが、
その当時の私には、まったく遠い世界の出来事でした。

だからカーラジオをつけたのは、ちょうど小雨も降ってきて、
天気予報を聞こうとしたからです。

ラジオをつけた途端、天皇陛下崩御の知らせが飛び込んできました。

その口調は、毎年夏になると耳にする、太平洋戦争の終わりを告げる
ニュースの口調と同じでした。

昭和の物が溢れた豊かな時代に生まれ、その繁栄が加速する時代で大きくなった私にとって、
1つの時代が終わるという感覚は未知のものでした。

 

日本の象徴が亡くなった…この事実に、私達はどんな顔をしていいかわからないまま、
ハンバーガーの袋を持って、いつも座るベンチの方へ歩き出しました。

私の小さなマルチーズは、赤いレインコートを着て、幼子みたいなヨチヨチ歩きで、
私の前を歩いていました。身体の弱い犬で、心臓や頭に疾患がありました。

私はそんな身体の弱い子に、マックのナゲットを欲しがるまま与えていたのです。

 

でもその日の朝、このままではいけないと思いました。犬に対することだけではありません。
なにがいけないのか、どうすればいいのかもわかりませんでしたが、こんな生活ではいけない、
こんな自分ではいけない、このまま生きていったら、
私はいつかひどいことになると、強烈に思いました。

 

私はその後、恐怖や焦りや不安から、自分がしがみついている間違った価値観を
見つめることができませんでした。見つめることができないので、手放せません。
当然、変化は訪れません。終わりは失うことではないのに、
失うと頑なに信じ込んで、さらにしがみつこうともがいていました。

 

私が逃げ怖れていたことは、私の小さな犬が代わりに全て体現してくれました。
私が体験すべきだったひどいことを、小さな身体で、全部背負って逝ってしまいました。

 

最愛の犬が逝ってしまうと、私は天皇陛下が崩御した日に感じた通り、
どんどんひどいことになっていきました。

あの頃の私は、傍目には順調のようで、その実、生ける屍同然でした。

 

そんな昔の追憶に浸って、「ありがとう平成まんじゅう」の列に並んでいたら、

なんていうことでしょうか!!私の前のオジサンのその前の人で、
ひとまず売り切れになってしまいました。

30分後くらいにまた入荷すると言うので、帰りに買おうと思って電車に飛び乗りました。

ところが出先でバウムクーヘンをご馳走になり、次の行先で、どら焼きをいただいたのです。

目先の甘い物にすっかり心を奪われた私は、一刻も早く家に帰って

どら焼きを食べたくなってしまい、「ありがとう平成まんじゅう」のことを忘れてしまいました。

「ありがとう平成まんじゅう」は、1つ1つに、平成の流行語しおりが入っているそうです!

どなたか食べた方いたら、どんな味か、感想教えてくださ〜い!

 

この記事を読んでくださったあなたの昭和64年1月7日は、どんな日だったのでしょうか?

平成最後の日が、昭和最後の日よりさらに、あなたらしく、
充実した日々を送れていますように!

 

 

  • 2019.04.20 Saturday
  • 09:21