キキのテーブルのブログ「4×6 -4つの目、6本の足-」

郵便局長の娘

アニマルコミュニケーションのセッションを通じて、
懐かしい人と再会を果たしました!(電話での再会です)。

その懐かしい人は、当時「局長の娘」というあだ名で呼ばれていた、
Tさんという方です。
最も、当時局長の娘と言ったのは大人たちで、私達子供は、
「きょくちょー」と呼んでいました。

 

時は約50年前へさかのぼり…場所は、私が9歳まで過ごした大好きな函館です。

再会に繋がるセッション依頼があったのは、Tさんの親戚のお嬢さんで、
函館在住の方でした。可愛いMixの保護犬ロン君で、昨年の
12月中旬のことです。

同じ道産子ということで話が弾み、私も9歳まで函館で過ごしたことや、
当時住んでいた町名などを話したのです。

 
その話を、お正月の集まりでしたことが、再会に繋がりました。
話を聞かされた時、アニマルコミュニケーション自体、
Tさんは半信半疑だったと言います。でも、コミュニケーター(私)の
年齢が自分と同じで、函館出身と聞いて興味が湧き、
私の名前を聞いてすぐ、HPを開いてみたというのです。

 

私の名前「理子(りこ)」は、今でこそそう珍しくないですが、
当時、同じ名前の人は皆無でした。新たに担任になった教師でさえ、
「なんて読むの?」、「理と子の間に一字抜けていない?」そう聞くほど、珍しかったのです。

ちなみに同じ年代の女の子は、「ひろみ」、「まゆみ」、
「あけみ」など、子のつかない名前が大流行の時代でした。

おまけに、私は旧姓の苗字も珍しい方なので、苗字プラス「りこ」という名前で、

50年近く経った今も、Tさんの記憶に残っていたわけです。

 

Tさんからの、同級生ではないかというメールを開いた瞬間、
私は7〜
9歳の頃に戻っていきました。

子供の私は、砂利道に立っていました。竹垣をまたいで庭に入り、
赤い自転車に飛び乗ります。立ちこぎしながら、今日する遊びを思い浮かべます。
缶蹴り遊び、だるまさんが転んだ遊び、バレーボール、縄跳び…

私が住んでいた町は、戊辰戦争の跡地五稜郭に近く、
豊かな自然に囲まれた住宅地でした。名だたる高校が2〜3校もあって、
いずれも大きなグラウンドを複数持っていました。

子供だった私たちは、そのいずれのグラウンドにも出入り自由でした。
今のように、高い門などない時代でしたし、子供たちが遊んでいても、
誰も怒りませんでした。トイレに行きたくなると、
勝手に校舎へ入って拝借していたくらいです。

塾に通う子供はいませんでした(ピアノを習っている女子はいましたが)

子供の誘拐は、お金持ちか有名人しか心配されない時代でした。
(それも滅多にない)

私たち子供の遊び場は街全体という、実にのどかな時代だったのです。

 
Tさんと私は、幼いころの話や函館の街のことを、夢中になって語り合いました。
夕焼けの橙色の素晴らしさ、どこにいても感じる海の匂い、
坂道から見た夜の漁火のきらめき…心のどこに、これほど鮮明な記憶があるなんて!
というくらい、次から次へと出てくるのです。

 

彼女は、当時私たちが憧れていた赤いポストのある郵便局の娘でした。

子供の私たちは、当時郵便局を、社会に数ある大人の仕事と思っていない節がありました。

赤いポストに手紙を入れると、ちゃんとその家へ届けてくれること自体、
魔法のようで、特別な憧れをもっていたのです。

Tさんが住んでいたのは、郵便局の裏手で、今思えば社宅だったのですが、

前面が空き地、後ろは鬱蒼とした森という立地でした。

そういう立地がまた幻想的で、私達子供の想像をかき立てたのだと思います。

 

そんな話をしていたら、Tさんが懐かしそうにこう言いました。

「そういえば当時、ノートの切れ端に書いた手紙を封筒に入れて、
宛名だけ書いてあるものが、ポストに投函されていましたね。
それもかなりの数でした。今までは単に、大人の真似をした
子供達のいたずらと思っていたけれど、今こうやって話していたら、
子供たちはみんな真剣で、特別な思いで書いていたのかなって」

 

どんな内容の手紙があったのか、私は心臓が飛び出しそうなほど
ドキドキしながら、聞いてみました。

「七夕の時のお願いごとやクリスマス、サンタクロースへのお願いが
一番多かったですよ。あとは、万博(大阪)のチケットが
当たりますように!とか(笑い)ああそういえば、切実な願い事もありました。
お金持ちになりますように、亡くなったおばあちゃんへ伝言を届けてください、
お父さんお母さんが仲良くなりますように…そういう、神様へのお願いです」

 
彼女が話した中には、私が投函していた手紙もありました。

 前にどこかで書いたかもしれません。私が通っていた幼稚園は、
とても敬虔なカトリックでした。父や母が信仰をもっていたわけではありません。
それどころか、祖父は僧侶でした。でも当時、酷い浪費癖のある父のせいで
我が家は火の車で母は働きに出ていました。今のように子供を預ける場所もなかった時代、
その幼稚園は、夕方くらいまで子供を預かってくれたのです。

そんなわけで通わされた幼稚園でしたが、私は楽しくて仕方ありませんでした。

先生たちが聞かせてくれる、イエスキリストがおこした奇跡のお話しや、
紙芝居が大好きだったのです。

先生たちは、毎晩眠る前、「天にまします我らが主よ…」とお祈りすれば、
イエス様が必ず叶えてくれると言いました。

そこで私は毎晩必死にお祈りしましたが、一向に願いは叶えられず…
その後、友達の誰かが、サンタクロースへのお願いを書いて郵便局のポストに入れたら、
その通りのプレゼントを貰ったという話を聞きました。

そこで、子供心にこう思いました。
「ポストに手紙を入れれば、サンタクロースがイエス様に届けてくれるんだ」と…

 

それからかなり長期間にわたって、私はポストに手紙を入れ続けたものです。

最初は背伸びして入れた記憶がありますが、最後には、投函口に耳をつけて、

手紙が中に落ちる音を聞いていた記憶があります。

一向に仲良くならないまま旅立った両親のことを思い出して、
切ない気持ちになったりもしましたが、こんな嬉しいエピソードも聞けました。

 
「私さ、りこちゃんが、動物の心を通訳してるって聞いてさ、
ああ!やっぱりねーって思ったよ」

思い出を話すうち、いつのまにかくだけた口調になったTさんは、そう言ってきました。

「え、なんで?」

「だって、ほら、虫とか蝶々とか、蝉とかさ…
わざわざ、家の森に放しにきてたでしょ、覚えてない?」

夏になると、虫取りは子供たちの大事な遊びの1つでした。
我が家は、母から、捕まえてもいいけれど、その日のうちに放すようにと、言われていました。
放すのに最適な場所が、彼女の家の裏手の森だったのです。
我が家から郵便局へは、大きな表通りを通って行くとたっぷり5分はかかりましたが、
人の敷地や庭の中を横切っていく秘密のルートを使えば、2分くらいで行けました。

私は毎回、その秘密ルートを使っていたのです。

そんなことを知らない彼女は、当時私にこう聞いたと言うのです。

「わざわざ、ここまで(放しに)くるんだね」

秘密のルートがバレたらまずいと、私は子供心に思ったのでしょう。

Tさんに会うたび、毎回こう言っていたそうです。

「蝉が(蝶々が、殿様バッタが)きょくちょーの森が良いって言うんだよ」

 
この仕事を始めてから、思わぬ喜びがもたらされることがあります。

そんな中でも、Tさんとの再会は忘れられないものとなりました。

もう赤いポストはないそうですが、リアルな再会は約束しました。

 

長文お読みくださり、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

  • 2019.01.18 Friday
  • 23:45