キキのテーブルのブログ「4×6 -4つの目、6本の足-」

🐾何気ない幸せな一瞬、永遠に残るもの🐾

早いもので、平成最後の年も、残すところわずかとなりました。

今年はアニマルコミュニケーターの私にとって、
セッションに明け暮れた、幸せ多い年となりました。
たくさんの出会いの中でも、いまだに行方がわからない子、
今まさに病魔と闘い苛酷な日々を送っている子、旅立ちの別れの淋しさを、
切々と訴えてきた子―そんなどうぶつ達のことは、特に忘れられません。


今年は、夏の異常な暑さの後の台風や地震、そして温かいと思いきや
急激な寒さがやってきました。調子の悪い子にとって
追い打ちをかけるような天候です。その影響もあって、11月から12月は、
今まで元気だった子たちの急激な体調悪化、そして旅立ちのセッションが続きました。

パッと頭に浮かぶだけで、7頭の子たちが旅立っています。
今日は、そんな子たちの中から代表して、3頭とその家族をご紹介していきます。
(2例は最近、実例にアップしています)
ご紹介する内容は、悲しみや淋しさ、痛みではありません。

永遠に残る喜びや、幸せな一瞬のことです。

闘病や旅立ちなのに、なぜ幸せや喜びなの?と思う方もいると思います。
そんな方のために、急に旅立ってしまったボルゾイ
(ブリーダーの遺棄による保護犬)のT君に、飼い主さんが
こう聞いた時のエピソードを、抜粋して記します。

「幸せだったのは、どんな時?忘れられないことはある?」という質問でした。
後から聞いたところによると、T君は可能な限り
犬がいける場へ連れて行ってもらい、旅行もT君の行ける所へ行っていたそうです。
パパに幸せだった時のことを聞かれ、T君も、まずそのことを言ってきました。
「お行儀よく座って待っていたカフェのテラス、パパと一緒に歩いたサラサラの砂浜、
誰もいない山のコテージで(リードはなしで)風のように駆け巡ったこと、
どれも本当に楽しかった。パパ、ママ、僕のためだけにありがとう」
そしてこの後、こう続けたのです。
「もしかしたら、パパはがっかりするかもしれないけれど、言うね。
でも僕が、やっぱり一番幸せを感じていたのは、毎朝の散歩の時だよ。
パパが、僕を待たせて(ガレージにリードをロックして)散歩前に
(柔軟)体操していたででしょう。あの時のいつもの手順、(散歩に行きたくて)
待っている僕のウキウキ高鳴る胸の音、体操が終わって、パパが手袋をはめて、
お待たせ、行くぞT!と言う時の声、パパの優しい眼、近ずいてくる足音や(冬の)白い息…
僕は、あの毎日毎日(7年続いた)日々の中での幸せな一瞬を、永遠に忘れないよ」

 

T君は突然の激しい発作に襲われ、人間の目からみたら、七転八倒の苦しみの中逝ったのでした。
飼い主さんも、あの最期の壮絶さばかりが頭に残り、
幸せなことなど思い出せない、そんな沈んだ気持ちでした。
でも私に観えてきたのは、発作の苦しさで薄れ行く意識の中浮かんでいた、
朝の散歩前の、幸せな記憶でした。

どうぶつ達は、最期の一瞬まで、こんな風に、
幸せだった記憶を思い浮かべているものなのだと、今更ながら身に沁みました。

 

これからご紹介する3頭の犬や猫たちも、みなそうです。
彼らの何気ない幸せな一瞬を切り取った写真やエピソードを、ご紹介してゆきます。

★黒白猫カビラ君

カビラ君が愛してやまない、Hさん。SNSでアップされていた、
仔猫のカビラ君は、彼女に常に寄添い支えて生きた16年と8か月の生涯でした。
Hさんの分身のような息子さんとの友情も、半端なく素晴らしかったです。
カビラ君が生涯を通じて人に注ぎ続けた、愛や希望、好奇心、
そして希望は、息子さんの中にしっかり結実しています。
私の説明よりも、Hさんのブログ記事と実例をお読みいただければ…
愛がいっぱい詰まっています!
https://ameblo.jp/enmusic-en/entry-12423482992.html…

★保護犬の櫂さん

櫂さんが愛してやまないママのYさんとの出会いは、愛護センターでした。
Yさんからいただいた文から、その時の状況を抜粋いたします。
私がアメリカに滞在していたとき、友人たちはみな、シェルターからもらってきた
犬を飼っていたので、自然の流れでした。ただ、その頃の私は保護団体があるのを知らず、
シェルターは日本でいうところのセンターのことかと勘違いしたので、
行けば直接いろいろな犬を見せてもらえると思っていました。
しかし、見せてもらうことはできず、今は家にいるけれど捨てたい人たちの
書いた犬のリストから選ぶよう言われたのですが、櫂だけが、
介癬になっていたため事務所の外にゲージに入れられていました。
9月の頭だったので、ゲージの回りには蚊取り線香がたいてあり、
子犬なのに、ドライフードが置いてありました。もちろんまだ、ミルクしか飲めない子犬なので、
食べられずガリガリで、介癬でハゲハゲでした。
目の前にいるこの子を、きっと長くないから看取ってあげたいと思い引き出しました。
櫂は引き出したとき、生後1ヶ月でした。そんな出会いから、
家族の一員として大事にされた15年の生涯でした。

 

私が櫂さんのセッションをした時は、娘さんがまだ産まれたばかりのころでした。
几帳面なYさんは、育児も櫂さんのお世話も完璧にしたかったのでしょう。
出来ていないご自分の現状を責めてしまい、櫂さんの気持ちもみえなくなっていました。
そんなYさんに櫂さんは、「お姉ちゃん無理をしないでほしい。私が悲しくなるのは、
私のお世話ができないことではなく、できないことで、
イライラしたり余裕がなくなってしまったお姉ちゃんを見ること」と言ったのです。
セッション前は、毛もペタッとした感じで沈みがちな顔でしたが、Y
さんに気持ちが通じ笑顔になったのを見るや、櫂さんの毛が一瞬でふっくらしたのです。
その違いを目の当たりにしたYさん一家の笑顔が、私は忘れられません。
セッション当時赤ちゃんだった娘さんと櫂さんの写真を、たくさん提供していただきました。

 

カビラ君と息子さん同様、2人(と言ってしまいます)の間に流れる愛と友情は、
どうぶつにも豊かな感情と思いやりの心があることを、鮮明に映し出してくれています。

 

★鼻の腫瘍で、顔が変形してしまったRさん。

鼻の癌の隆起で、美しかった顔が大きく変わってしまったRさんの実例は、
多くの方の目に止まり、コメントもたくさんいただきました。
その時のブログ記事はこちらから
http://kikinotable.jugem.jp/?eid=847

Rさんは私に、ずっと行っていなかった屋上に連れて行ってもらいたいこと、
Rは変わらず美人で自慢の猫だと、ママのKさんに励ましてほしいこと、
そしてその時が来たら、ママの腕の中で逝きたいので、躊躇せず、
病院へ連れて行ってほしいことなど、たくさんの重要なことを話してくれました。

 

セッションのご報告から半月も経たない12月10日の朝、
自宅で、ママの腕の中、自然な形で旅立っていったRさん。
その時が来たら、病院で眠らせてほしいと言ったのは、
仕事で忙しいママを気遣って、そんな風に言ったと、私は感じていました。
帰ってきたママが、冷たくなった自分の亡骸をみて、後悔や悲しみをもってしまわないように…
そんな優しさです。
そんなRさんは旅立った後も、小さな奇跡を起こしていたのです。
本当は2つあるのですが、今日は1つのご紹介にとどめます。


Rさんが元気だったころ、自宅に親しい友人を呼んで、
料理やお酒を楽しむのが好きだったKさん。

Rさんの旅立ちは、彼女がお骨になって帰ってきてから知らせようと思っていたそうです。
なのに、Rさんが旅立ったその朝、仲の良い友人から電話があったというのです。
「心配だったら、会社にいってる間、私が、Kの家に行こうか?」という申し出でした。
こう言われたら、さすがに話さないわけにはいきません。
実は先ほど天国に行ったと報告すると…そのお友達が他の共通の友達に連絡してくれて、
何人かで行くからRにお線香あげさせてと…とりあえず皆で集って、
Rちゃんも一緒にテーブルを囲んで思い出話をしましょうとなったというのです。

 

優しいRちゃんは、ママが落ち込まないよう、友達を呼んでくれたというわけです。
そのお友達が昔撮ってくれた、絶世の美猫時代の写真も出てきました。

どうぶつ達はみな、私達人間が思っているより
ずっと、ずっと、知的で思いやりに溢れています。
そして彼らはどんな状況にあっても、私達が思うより
ずっと、今を生き、今を楽しみ、前を向いているものです。


来年もまた、そんな彼らの心の通訳を、精一杯務めていきたいと思います。

1年の終わりに、どうぶつ達への尊敬と感謝をこめて💖

 

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カビラ君と息子のA君。

 

 


仲間の旅立ちに寄添うロンさん

 

 

 

櫂さんと娘さん

 

 

 

 

美猫の誉れ高かったRさん

 

  • 2018.12.28 Friday
  • 22:06