キキのテーブルのブログ「4×6 -4つの目、6本の足-」

母のドーナツ型石鹸

私の母は、普段冗談を言うタイプではなく、
ふざけたりするのが好きな人でもなかったけれど、
このドーナツ型の石鹸を前にすると、違う人のようになった。

 

(写真のように)いかにも本物のドーナツみたいにお皿に盛り付け、
何食わぬ顔をして姪っ子たちを呼ぶ。
姪っ子たちは2階に住んでいて、母は階段の下から大声で呼んでいた。
そしてお皿に石鹸を置くと、策士みたいな顔になって、
笑いを押し殺す。

口の前で人差し指をたてて、「本物みたいだね、しーっ」と言った。
姪っ子たちが降りてきて、「あ、ドーナツ」と叫んで手に取る。
大抵は手に取った瞬間にわかるけれど、ある冬の夕方、
お腹が空いていたのか、弟はそのまま口に持っていった。
危うくかぶりつきそうになった弟を前に、
母は「アー!引っかかった」と大きな声を出し、手をたたいて喜んでいた。
その後かなり長い時間、1人、くつくつ笑っていたものだ。
なにがそんなに愉快なのか、しまいにはソフアーの背当てクッションを
胸に抱いて、いつまでも笑っていた。

 
母が存命中、私は役に立つしっかりした娘だったと思うが、
いつも、母を冷めた目でみていた。
だからそのドーナツ石鹸の時も、作る私の身になってほしいという
思いをこめた一瞥をなげるだけで、のってあげたりしなかった。
もちろん、笑ってなどあげなかった。

コールドプロセス法で作るこの石鹸は、熟成、寝かせる時間が必要なのだ。
「ドーナツ石鹸が欲しかったら、最低、2週間前には言ってね!」と、
毎回キツク言うのだけれど、母はいつも、
「ねぇ、あれ送ってくれる?今度〇〇に呼ばれて行くの。あれ持っていくと、みんな、
すごーい本物みたいって喜んでくれて…中には、本物だと思って食べようとする人もいるの」
ここでまた思い出すのか、ひとしきりくつくつ笑う、
「だから、もう楽しいのあれ。いつならいい?明日送ってくれる?」と言うのだ。

母は石鹸に限らず、万事この調子だった。
私に頼めば、何でもなんとかしてくれると思っているらしい。
腹が立って、私は火のごとく怒ったけれど、毎回、他の用事を放り投げ、
必死にドーナツ石鹸を作っていた。
しまいには、母からいつ頼まれてもいいように、たくさん作り置きもしてあった。
母が他界してから、このドーナツ石鹸だけは作れなくなった。
3回目の夏にこうして作って、私は初めて笑ってみた。
「お母さん、本物のドーナツみたいだね、しーっ!」
 
もう泣かないと思ったのに、ハラハラと、涙が頬を伝った。
  • 2017.08.04 Friday
  • 00:34