キキのテーブルのブログ「4×6 -4つの目、6本の足-」

心より、お悔やみ申し上げます

どうぶつたちの話ではないので、ご興味ある方はお付き合いください。

 

中学1年生で北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父親、
横田滋さんが、
6月5日に、87歳で亡くなられました。


今から20年近く前、街頭で訴えていた時の
ご様子を書きたいと思います。

 

場所は、JRの川崎駅構内を出た所でした。
横田さんご夫婦は、川崎にお住まいなので、

その後もたびたび、同じ場所で署名活動をされていたものです。

中央東口の改札を出て駅構内を右手に行くと、緩やかな滝のような

長いエスカレーターがあります。

上りと下り、合わせて4基(記憶が定かではないのですが)
だったと記憶しています。

エスカレーターを降りると、アゼリアという地下街の入口があるのですが、

その境目に小さな広場(スペース)があるのです。
(当時は、添付写真のような屋根がなかった)

ミュージシャンや大道芸人のパフォーマンスも見られました。

そこで、横田さんたちは救出活動の訴えをしていたのでした。

 

初めて横田さんご夫婦を見たのは、北朝鮮による拉致は動かしがたい事実と広まったころ…
ニュースでさかんに、めぐみさんが拉致された当時の写真が流されていたころです。

「拉致被害者全員を、1日も早く日本に帰国させよう!」という大きな立て看板があって、

たすきをかけた支援者5〜6名が手伝っておられました。
「小泉総理に訪朝してもらいたい」という言葉も飛びかっていたので、
2002年の訪朝前だったと思います。

みなダウンコートを着ていたので、寒い時期でした。


当時私は、ペットシッターをしていて、朝、川崎駅で演説しているのを見たのでした。

見たと言っても、エスカレーターの方まで声が聞こえてきたので、
こんな朝早くから何ごとと思いながら、通り過ぎたのです。

 

お世話を終え、1時間半くらいして戻ってくると、まだいたのです。
まだいたなどという言い方は失礼ですが、当時の私は、その程度の認識しか持っていませんでした。

スチール製の長いテーブルがあって、様々なパンフレットが置いてありました。
その中央に横田滋さんがいて、署名した人、1人1人に丁寧に頭を下げていました。

当時、「時の人」という感じでしたから、回りはすごい人だかりでした。

私は、そんな一団を斜に見ながら通り過ぎようとしたのですが、
内心は、そうすることが
後ろめたい気持ちになっていました。

それくらい、早紀江さん滋さんのお人柄が滲み出ていたのだと思います。

 

あらためてよく見れば、回りの支援者はコートを着ているのに、
お2人ともコートを着ていませんでした。足元のカバンに、きれいにたたんで置かれています。
マイクを握る手は、手袋もしていません。途中小雨がぱらついて傘をすすめられましたが、
笑って辞退し、眼鏡を拭いておられました。

 

寒かったので1度駅構内へ避難し、長いエレベーターの上の所で、
話を聞くことにしました。

高さで言うと、3階くらいから見下ろす感じになります。

手すりにもたれて下を見た時、腰を90度に曲げ、署名してくれた人に御礼を

言う横田滋さんの後ろ姿が見えました。

ちょうど後頭部が見えたのですが、かなり酷い寝癖がついていたのです。

冬なのにコートも着ず、きちんとスーツを着て、頭も綺麗に整髪している感じだったので、
その後頭部の寝癖が、すごく際立っていました。

朝早くから準備で追われ、そこだけチェックを忘れてしまったのだと思われますが、

そのギャップが、かえって胸を打ちました。


あの寝癖を見た瞬間、横田滋さんが、自分と同じ生身の人間で(あたりまえですが)
遠い人ではなくなったのです。

 

私は急いで階段を駆け下りると、募金をすませ、署名の列に並びました。

30名以上が列をなしていたのを覚えています。

自分の番が回ってくるまで、なにを言おうかずっと考えていましたが、
いざ番が回ってきたら、頭が真っ白になって、大したことは言えませんでした。

 

実際の横田滋さんは、テレビ画面の中と全く同じ感じの方です。
穏やかで、誠実で、優しさが前面に出ていました。そしてはにかみ屋なのでしょう。
視線を少し下に落とし、話す時のお顔は、ずっと微笑んでいました。

 

私は人と話すのは苦ではないのですが、こんな風に、ずっと活動してきた人を前にして、
すっかりあがってしまいました。何を言ったかよく覚えていないのですが…

多分、「めぐみさんと同じ年代なので、心が痛みます。
1日も早く再会できるよう祈っています」そんな感じだったでしょうか。

横田滋さんは、とても嬉しそうな顔になって、
「ありがとうございます。今は希望をもてるようになりました。
引き続き、応援よろしくお願いします」と言って、握手をしてくれました。

 

私の出した片手に、両手で返してくれたことを、今もハッキリ覚えています。

意外に小さく、柔らかな手の方でした。

 

あの手で、めぐみさんを、どんなにか抱きしめてあげたかったことでしょう。

 

めぐみさんとあのような理不尽な別れをして、43年余り。

悲しみと痛みはどれほどのものだったか想像もできないですが、

あの優しい雰囲気と、はにかんだような口元、柔らかな手の感触が思い出されると、

胸が押し潰されそうな気持ちになります。

 

心より、心より、お悔やみ申し上げます。

合掌。

 

補足

すずらんの花言葉の中に、「再び幸せが訪れる」がありました。

横田滋さんの出身校が札幌だと知って、鈴蘭は北海道がメッカなので

選びました。

 

 

 

  • 2020.06.09 Tuesday
  • 15:27