キキのテーブルのブログ「4×6 -4つの目、6本の足-」

🎄Merry Christmas🎄

今年もクリスマスの季節になりました。

 
去年も書いたかと思いますが、私のクリスマスと言えば、

幼稚園時代の思い出に集中しています。
またその思い出話です。

興味のある方がいらしたら、お付きあい下さい。

 

私が通っていた函館の幼稚園は、50年以上経った今も存在していて、

ネットで見たら、とても評判が良く…
読んだ時は、なんだか誇らしくなったものです。

「とても温かい」「評判通り」
「この幼稚園に通わせたくて、わざわざ引っ越しした甲斐があった」
などと、書いてありましたが、どれも私が通っていた当時の印象と一致します。

もっとも当時、父や母がそんなことを調べて行かせたとは思えないので、

我が家の場合はたまたま、その幼稚園が近場だったのでしょう。

 

カトリック系の幼稚園で、幼稚園から通路で繋がった別棟に、立派な礼拝堂がありました。
普段その礼拝堂の扉は閉まっているのですが
(鍵はかかっていなかったと思いますが、
取っ手部分の位置が高く、
重い扉だったので、幼稚園児では開けられなかった)
12月に入ると、全開になるのです。

 

クリスマスイブは、キリスト生誕のお祝いが盛大に開かれるのですが、
私たち園児はその意味を、よくわかっていなかったと思います。

わかっているのは、いつも紙芝居やお祈りの時に出てくる「主」というすごい人がいて、

その人の名はイエス・キリスト。たくさんの奇跡を起こした偉い人で、
私たちの罪(よくわかっていないけれど、悪い考え、悪い行い)
を背負って十字架にかけられ、今は「主」という神様になった。
そして、クリスマスに盛大な会があり、私たちはプレゼントをもらえるのだということです。

 

普段閉まっている礼拝堂の扉が開くのを、私たち園児(3年保育でした)は
みな楽しみにしていました。

重い扉が開くと、ひんやり湿った、なにやら秘密めいた異次元の匂いがしたものです。

今思えば、色んな人々の祈りの波動や真摯な思い、
長い歴史が醸し出す独特の空気が充満していたのだと思います。

私たち子供は、鼻をひくひくさせ、でも一様に畏まって入って行ったものです。

 

礼拝堂が開いた日からクリスマス会までは、ほぼ毎日が準備の期間でした。

毎年どこから持ってくるのか、生のモミの木のクリスマスツリーが正門の前にありました。
他には各教室、そしてこの礼拝堂のクリスマスツリーと、全部で5〜6か所あったと思います。

毎年園児は、担当するクリスマスツリーを決められます。
担当になった先生や友達と協力して、ツリーに美しい飾り付けをするのです。

飾りつけは今の時代と違って、全て年代物で、
どの飾りも名前の付いた箱に入っていました。

園児はみな、両手で捧げ持つようにしていたので、
どれもある程度の重さがあったのだと思います。

ツリーの中で最も大きかったのは、礼拝堂のツリーでした。
首を直角に曲げて見あげても、てっぺんは見えないほどの大きさでした。
ツリーのてっぺんに、どうやって星形の飾りをつけるのだろうと
不思議に感じたのを覚えています。

先生が大きな脚立に乗って作業していましたし、はしごも使って
飾りつけをしていたと記憶しています。やはり、相当大きなツリーだったと思います。

 

全て飾り付けが終わると、電飾と真綿で最後のお化粧をします。

ツリーのお化粧が終わると園児は礼拝堂に集められ、先生たちは全ての窓を閉めます。

すると真っ暗で、まるで夜のようでした。

怖いのを我慢していると、先生がツリーの灯りをつけてくれます。

園児の歓声と、あの眩いばかりの美しさは今でも忘れられません。

 

それから私たちは、小さなキャンドルを持って、
クリスマス会の歌の練習をするのでした。

「ジングルベル」「きよしこの夜」「もろびとこぞりて」

その頃練習した歌の歌詞は、今でもすべてそらんじています。

 

本番当日、女子はみな黒のベルベットワンピース(首元レース)

男子はなぜかサスペンダーに半ズボン(当時の流行だったのかも)という正装で、

みなキャンドルを手に持ち、一生懸命歌ったものです。

幼い両手を組んで、一生懸命祈りもしました。

 

園長先生は、それは高潔な感じの方で、どんな園児にも慈愛のこもった態度で接する方でした。

祈りとは、自分のために祈ってはいけない。他の人の幸せや、恵まれない人達のために、
祈ることに価値があるのだということを、いつも子供達のわかる言葉で、話してくれたものです。

 

私は全く記憶にないのですが、入園したその年(多分4才)

クリスマスをひかえた時期になって、園長先生は例によって、お祈りのことを話してくれました。

その日は何かの催しがあったのか、年少園児の親たちも参加していたそうです。

 

園長先生は一通りお話しした後、私たち園児に聞きました。

「今度のクリスマスにお祈りすることがもう決まった人がいたら、
元気よく手を挙げて発表してください」

私は小学校に入ってから、今の私に近い感じの資質、
キャラクターへ変化していきましたが、

幼稚園児のころは身体も大きく、積極的で、物おじしない子供だったそうです。

そんなキャラクターだったので、園長先生に言われて
元気よく真っ先に手を挙げたのが、私でした。

言ったことはおぼろげに覚えています。

「私は、お父さんとお母さんが仲良くなりますようにって、お祈りします」
と、私が発表すると、場がざわついたそうです。

私の母も参加していたので、子供に家庭内のことを暴露されてしまった格好になり、
顔から火が出るほど恥ずかしかったことでしょう。

 

すると続いて、元養護施設にいたある男の子も手を挙げました。

「僕の本当のお母さんが、今幸せでありますようにと祈ります」
と、その子が言うと、

今度はシーンとなり、その子の健気な気持ちに涙を流す人もいたそうです。

 

その後どうなったか、私は全く覚えていないのですが、私とその男の子は卒園するまで、

園長先生から特別扱いをしてもらったのは確かなことでした。

 

クリスマス会が終わって、1人1人の園児にプレゼントが配られるのですが、

その時園長先生は、1人1人に言葉をかけてくれました。

その子にあった形の祝福も、必ずセットになっていました。

握手をしたり、頬を撫ぜてくれたり、時に抱きしめてくれたりするのです。

 

私とその男の子の時は、いつも頭に優しく手を置き、

それからふんわりと包みこむように、抱きしめてくれたものです。

 

50年以上経った今でも、私はあの祝福を鮮明に思い出します。

思い出すと言うより、鮮明に、魂が覚えているという感覚です 。

 

そして、あの祝福があったから、色んなことが乗り切れたと確信しています。

 

長文お読みくださり、ありがとうございます。

みなさまも、心のこもった素敵なクリスマスをお過ごしください。

 

 

 

 

 

  • 2019.12.24 Tuesday
  • 21:49